どうして人は負け惜しみを口にするのでしょうか?
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不安に感じた事や葛藤を自己流で合理化すれば、自分は満足してしまいます。それは自己満足なのですが・・・。

名前は知らなくても、聞けば誰もが「あ~それ知ってる」となる童話として、広く世界で広まった「イソップ寓話」。

『イソップ寓話』(イソップぐうわ、古希: Αισώπου Μύθοι)は、アイソーポス(イソップ)が作ったとされる寓話を集めたとされる寓話集。特に動物(下記を参照)、生活雑貨(例えば、瀬戸物と金物など)、自然現象(太陽と風)、様々な人々(旅人など)を主人公にしたものが有名で、イソップ物語・イソップ童話等と呼ばれることもある。
引用:wikipedia

例えば、物語のタイトルを言うだけで、なんとなく思い出す人もいるのではないでしょうか?

  • アリとキリギリス(アリとセミ、アリとセンチコガネ)
  • 蟻と蛹
  • ありとはと
  • 田舎のネズミと町のネズミ
  • 犬と肉
  • ウサギとカメ
  • 嘘をつく子供
  • 馬をうらやんだろば
  • 牡鹿とライオン
  • 雄鶏と宝石
  • ガチョウと黄金の卵
  • からすときつね
  • カラスと水差し
  • 狩人と樵
  • 北風と太陽
  • 狐と鶴のご馳走
  • 虚飾で彩られたカラス
  • 金の斧(金の斧と銀の斧)
  • 金のライオンを見つけた男
  • 熊と旅人
  • 3本の棒
  • 獅子の分け前
  • すっぱい葡萄
  • ずるい狐
  • ネズミの相談
  • ねずみの恩がえし
  • 農夫とその子どもたち
  • ハチとヘビ
  • バッタを捕まえる少年とサソリ
  • 卑怯なコウモリ(蝙蝠と鼬)
  • フクロウと鳥たち
  • ライオンとキツネとシカ
  • ろばを売りに行く親子
  • 若い泥棒とそのお母さん
  • わしとからす
  • エチオピア人を白く洗う

 

引用:wikipedia

どうですか?いくつ思い出しましたか?

この中に、「すっぱい葡萄」という話があります。

 

お腹を空かしたキツネが、美味しそうなブドウがなっているのを見つけました。

 

ジャンプして取ろうとしますが、あと一歩というところで届きません。

 

そこでキツネは「どうせこのブドウはすっばいに決まってる。」

 

「誰が食べてやるものか!」と捨てぜりふを残して立ち去った、という話です。

 

早い話が、負け惜しみですが、このようにある行動に対し、後からもっともらしい理由をつけて自分の行動を正当化するのは「合理化」と呼ばれる心の働きです。

合理化と呼ばれる自己満足のために心理により正常な精神状態を保つ

たとえば、好きでたまらない相手に「付き合ってください」と告白したところ、無残に断られたとしましょう。

 

どうして自分の様な条件の良い人間が断られるのだろう?

 

見た目?地位や名誉?経済力?身長?体型?

 

自分にはなぜ交際を断られたのか、皆目見当がつきません。

 

すると、いきなりその人のことを「レベルが低すぎて自分にふさわしくないのだ」と、不当に低く評価することがあります。

 

また、第一志望の大学を不合格になったとたん、「あの大学はダサいから、もともと好きになれなかった」などと言うこともあります。

 

また、欲しくて仕方のなかったものを苦労して手に入れたけれど、それが期待はずれだったときにも合理化が行なわれます。

 

たとえばヤフオクなどで沢山の人と競った結果、やっと手にした落札品に、実は傷があったとしましょう。

 

「高すぎた」「傷ものだった」ということを認めてしまうと、ショックがあまりにも大きいため、「傷があった方が風情が出る」「これこそが本物の証」などと自分に都合よく考えるようになります。

 

また、仕事などに失敗した場合は「これだけ努力したんだから、成果が出なくても充分だ」「誰がやっても成功しないことだったんだ」などと自分を納得させてしまうのが人間です。

 

これを「甘いレモンの理論(苦労して手に入れたレモンは甘く感じる)」と言います。

 

このように考えることによって、私たちは心に発生した不安を自ずと解決し正常な精神状態を保つようにしているのです。

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